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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2175号 判決

昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件控訴人

昭和五〇年(ネ)第二、一七五号事件被控訴人

山田実

昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件控訴人

昭和五〇年(ネ)第二、一七五号事件被控訴人

山田加代子

右両名訴訟代理人

平沼高明

外二名

昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件被控訴人

昭和五〇年(ネ)第二、一七五号事件控訴人

遠藤信之

右訴訟代理人

高山尚之

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件被控訴人遠藤信之は同事件控訴人山田実、同山田加代子に対し、それぞれ、金二四七万五、五一三円宛、及び、これらに対する昭和四七年八月八日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2  昭和五〇年(ネ)第二、一七五号事件控訴人遠藤信之の本件控訴を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件被控訴人(同年(ネ)第二、一七五号事件控訴人)遠藤信之の負担とする。

4  この判決の主文第一項は、昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件控訴人らが共同して金二五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件事故の発生

控訴人の長男剛が昭和四七年八月七日被控訴人遠藤所有の本件土地にある本件井戸に落下し死亡したこと(本件事故)は当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、被害者剛は昭和四五年五月二七日生で本件事故当時二歳であり、昭和四七年八月七日午前一〇時四〇分ころ本件井戸に誤つて落ち溺死したことが認められる。

二本件井戸の設置の瑕疵について

1  本件井戸自体の設置の瑕疵

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

本件土地、被控訴人遠藤方居宅、本件井戸その他の工作物、地物等の概況は原判決添付図面表示のとおりであり、本件井戸は、本件土地の北西隅の門扉附近の通路(後述)に接し、その東側にあつたが、井戸の所在箇所は、同所に向つて囲むように東側と南側から傾斜東西側の傾斜がある窪地であり、東西側の傾斜は被控訴人遠藤の居宅から門扉に向い約一五度で下つており、南北側はそれよ稍緩い傾斜を成していた。本件井戸のコンクリート枠が地表に出ている部分は家屋に近い側(斜面上方部)が約二〇センチメートル、門扉に近い側(斜面下方部)が約四〇センチメートル、井戸枠の直径は約七五センチメートル、地下約八メートルで水面に達し、基底部までの水深は約3.5メートルであつた。本件井戸のコンクリート枠は二段あり、その下は素堀りとなつており、上部門口部には蓋その他の設備は何ら存在しなかつた。本件事故当時本件井戸の周辺には雑草が生い繁り、一見して本件井戸の存在が判り難く、本件事故当日は雨のためことに傾斜面が滑り易い状態となつており、前記の傾斜面に前記のように僅かのコンクリート枠の部分が出ていたため、これにつまづくなどして本件井戸に落下する危険が大であつた。

以上のとおり認定することができる。右認定に反し、本件井戸の開口部には、カラー鉄板、抜板で蔽い、更にコンクリートブロツクをその上に載せて蓋がしてあつた旨の〈証拠〉は、甲第四号証の五のうちの本件事故発生当時の本件井戸及びその周辺の写真に、本件井戸の蓋にあたるものが何物も存在しないこと、〈証拠〉によると、本件事故後直ちに所轄署の警察官として小山がかけつけたとき、本件井戸の蓋がないかを探したが、見当らなかつたと述べていることからみて、にわかに信用することができない。また、〈証拠〉により、本件事故発生の日の二日前である昭和四七年八月五日午後一時頃本件土地付近一帯を撮影した航空写真であることが認められる乙第五号証の一、その拡大写真であることが認められる同号証の二には、本件井戸の水面と覚しきものが写つていないことは否定できないが、そうであるからといつて、右撮影日時、延いては本件事故発生当時本件井戸に蓋がしてあつたと認めなければならないものではない。けだし、これらの写真の解像の不鮮明さもさることながら、本件井戸の水面は地下約八メートルであるのに井戸枠の直径は七五センチメートルにすぎないのであるから、高空からの撮影角度如何によつては、蓋がしてなくても、本件井戸の水面を撮影できなかつたという可能性も考えられるからである。他に右認定を左右する証拠はない。

民法七一七条にいう工作物の設置の瑕疵とは、通常その工作物によつて損害が発生することを防止することのできる機能を有していないことをいうものと解される。

前記認定事実によると、本件井戸が通常の損害発生防止機能を有したというには、本件井戸の開口部に、人の落下を防止できる設備(たとえば、コンクリートなど固定した設備で開口部を完全に蔽うとか、容易に取外すことのできない頑丈な蓋を設けること)が存在しなければならないが、本件井戸には何らその設備が存在しなかつたものであるから、工作物の設置に瑕疵があつたものというのを妨げない。

2  本件土地囲繞設備の危険防止機能について

被控訴人遠藤は、本件井戸に容易に近づくことができないように本件土地の囲繞設備があり、これが本件井戸への落下危険防止機能を有していたから、結局、本件井戸の設置に瑕疵はないと主張する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  本件土地の北側境界線に接しその外側(北側)に幅員約2.72メートルの露路(非舗装の公道)があるが、右境界線の西端の門扉部分を除き、これに沿つて、本件土地内に密生した雑木(高さ約二メートル)の生垣が植栽され、その生垣の外側に、数か所の支柱(高さ約一メートル)で支えて、三筋の有刺鉄線がほぼ等間隔で張られているため、右公道からは容易に本件土地に立入ることができない。右西端部分(約2.05メートル)に門扉(検証写真一五、一六)があり、その構造は、部厚い抜板縦(約一メートル)四枚、横(約一メートル)三枚で木枠状に組立てた扉の一対が、それぞれ両端の木の支柱に蝶番上下二個で内側から止められ、本件土地内に向つて開くことができ、その両扉の合わさる中央部分一か所に掛金状の金具()が取付けられているほか、犬繋留用の鎖一個が門扉の横板に掛けてあり、これを両扉に巻きつけて施錠にかえるようになつている。本件土地の西側境界線の外側(西側)は崖で低くなつており、この境界線に沿い本件土地内に雑木の生垣があり、その内側にはこれに沿い玄関に通ずる通路(西側の長さ18.3メートル、幅員3.2メートル)があり、その通路と内庭の境には密生した雑木(高さ約二メートル)の生垣があり、門扉に近い若干部分に有刺鉄線一本が張られ、右生垣の南端(約2.3メートル)には金網(高さ約七〇センチメートル)が張られ、その延長上で本件土地南側境界線との間には外木戸(検証写真一八、一九)がある。右通路から生垣を越えて内庭に入ることも不可能とはいえないが、困難である。右外木戸の構造は、板製で、両脇の縦桟(七三センチメートル)及び三本の横桟(約七〇センチメートル)で組まれた骨組の上に一六枚の細い板をほぼ同間隔をおいて縦に打ちつけた格子作りの戸一対を両端の木の支柱に内側から蝶番二個で固定し、内側に開き、雨戸の合わさる上部横桟附近に、前記門扉と同様の形状で稍小型の掛錠がある。前記金網北端附近と家屋間に内木戸(検証写真二〇、二一)があり、その構造は、両脇(木)の縦桟(八七センチメートル)と三本の横桟(一、一七メートル)の骨組みの上に合成樹脂製の青色波板を右縦桟に合わせて切つたものを打ちつけ、一方の縦桟を支柱(木)に針金で緩く縛つて内側に開くようにし、他方の縦桟に廃桟のミシンの脚を立てかけて戸が開かないようにし、戸締の場合はミシンの脚、これを立てかけた縦桟及び他方の木の支柱を共々犬繋留用鉄鎖で巻きつけ、その止め金で止めることができる。その内木戸から内庭に入り約一〇メートル程門扉方向に戻つたところに本件井戸があつた。

本件土地の南側、東側の各境界線には、これに沿いそれぞれ密生した雑木の生垣があり、東側境界線の外側(東側)は崖で、隣地はさらに一段高くなつている。

(2)  本件事故当時家屋の東側には物が置いてあり、それと生垣とで塞がつて外庭(玄関前)を通り本件井戸の方には通り抜けができず、本件井戸に行くには、通常、門扉、通路、外木戸、玄関横、内木戸、内庭を経る方法による。本件事故当時門扉、外木戸、内木戸は、いずれも前記の方法による施錠がされておらなかつたもので、開いた状態または幼児でも容易に開閉できる状態になつていた。

以上のとおり認定することができる。右認定(2)に反し、本件事故当時門扉、外木戸のいずれも前記の方法による各施錠がしてあつた旨述べる〈証拠〉は、前記認定の止め金など施錠がされていた場合その構造上二歳の幼児ではこれを外すことは不可能であることからみると信用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

本件井戸自体に工作物の設置の瑕疵があつたこと前記1説示のとおりである。しかし、工作物自体に設置の瑕疵があつても、当該の瑕疵のある工作物に一般に近づくことのできないような囲繞設備があり、それが工作物による損害の発生を防止する機能を代用している関係にある場合は、工作物自体の瑕疵は消去され、工作物は全体として通常の損害発生防止機能を有するものと解することができる。この意味で、本件土地の囲繞設備がその機能を有するかについてみるのに、右認定事実によると、その機能を有しているものとはいえない。すなわち、本件井戸はそれ自体人の落下する危険の大きい工作物であつたから、何人といえどもこれに近づくことのできないように囲繞設備を設けるならば、右説示の点から通常の損害発生防止機能を有していたものといえよう。しかし、右認定の本件土地囲繞施設、すなわち、生垣、有刺鉄線、門扉通路、外木戸、内木戸のうち生垣、有刺鉄線は局所的なものであり、その余の設備は、本来人が本件土地内へ立入ることを予定し、時と場合に応じて立入を遮断しようとする反面、立入を誘導する目的のためにも設けられたものであり、立入を絶対的に禁止する設備ではないから、すでに、この点でこれらの囲繞設備をもつて本件井戸の危険防止機能を果させようとすることに無理がある。そして、門扉、外木戸、内木戸が被控訴人遠藤またはその家族が承諾して自ら開かないかぎり開かない構造であれば格別、そうではない本件においてはなおさらである。

被控訴人遠藤は、本件井戸が法的にも社会の常識上も一般に人の出入が許されない場所にあつたから、前記のような囲繞設備は危険防止機能を有すると認めるに充分であるという。しかし、工作物の瑕疵責任は、当該工作物が一般に人の出入が許されない場所に設置されている場合においても、その危険性の如何によつては、当該工作物が通常備えるべき安全設備を施しているかどうか、あるいは囲繞設備が危険防止機能を果しているかどうかが問われてしかるべきであり、この観点から本件をみるのに、〈証拠〉によれば、本件事故当時、本件土地附近の台地上には、控訴人ら方及び被控訴人遠藤方を含め四、五軒の人家が畑、原野に囲まれて存在していただけであるが、右集落の西側崖下には大規模な県営汲沢団地があつたこと、本件土地附近の台地と右団地とは、やや廻り適をすれば、相互に通行することができ、現に右団地に居住する幼児らが虫取りなどのため本件土地附近にやつてくることがあつたことを認めることができ、従つて、幼児が好奇心などから本件井戸の所在箇所に立入り、また、なんらかの事由から右箇所に迷い込むということも全然ありえない事態ではなかつたということができる。このようにして、幼児が本件井戸に近づく蓋然性があつたことを前提として考えると、仮りに本件井戸の所在箇所が一般に人の出入が許されない場所であつたとしても、先に認定したような本件囲繞設備の状況では到底これを危険防止機能を果していたものと認めることはできない。

被控訴人遠藤は、本件事故は二歳の幼児が本件土地内に迷い込んだ異例の事態の下に起つたのであり、このような事態を想定してまで損害発生防止の設備を設ける義務はないという。しかし、本件井戸自体に工作物の設置の瑕疵があり、幼児はもとより大人でさえ本件井戸に落下する危険が大きかつたことは前記1の認定事実から明らかであるが、大人の場合は本件井戸に近づくことに二の足を踏んだであろうのに対し、幼児の場合は、一般に思慮が行届かず、状況判断も未熟なところからそのような慎重な行動に出ることを常に期待することはできなかつたと認めるのが相当であるから、本件囲繞設備が十全であるかどうかを危険への接近度の高い幼児の行動に即応して判定することは当然のことといわなければならず、叙上と異なる見解に立脚する被控訴人遠藤の主張は失当である。

3  剛の不法侵入の主張について

被控訴人遠藤は、剛が本件土地内に不法に侵入したものであるから民法七一七条の保護を受けないという。

被害者が不法に土地内に侵入し、土地上に設置された瑕疵のある工作物により損害を受けた場合において、被害者は民法七一七条による損害賠償請求権を有しないものと解すべきであるとしても、右被害者が不法行為能力のない幼児である場合は、不法侵入ということができないから、原則に戻り、同条の損害賠償請求権を失わないものと解するのが相当である。本件において、剛は二歳で本件土地への立入につきその事理を弁別し、これに従つて行為する能力を欠き、従つてまた、不法行為能力がないから、同条の損害賠償請求権を失わないことが右説示のとおりである。被控訴人遠藤の右主張も失当である。

三損害賠償額

1  財産上の損害について

(一)  逸失利益

剛は本件事故当時二歳の男子であつたこと前記のとおりで、平均余命は70.67年(厚生省昭和五〇年簡易生命表)で、一八歳から六五歳までの四八年間を労働可能年数とみるのが相当である(労政時報二、三二三号昭和五一年七月九日発行四九頁以下によると六五歳以下の労働力は漸次低下している。)。ところで、被害者が口頭弁論終結後相当長年月を経過して後に収入を得ると想定する場合の逸失利益の算定については、事故当時の資料によらず、口頭弁論終結時までに明らかとなつた最近の統計資料に基づくべきものと解されるところ、勤労者の昭和五一年五月分の平均給与は、労働者統計情報部の調査速報によると、月額金一四万九、四七三円であり(労政時報二、三二四号六八頁)、同年四月(但し、同年五月も同様とみられる)の独身男子(一八歳)の標準生計費(但し、東京都の場合)は月額金五万九、一四〇円である(労政時報二、三三〇号六三頁)から、右月収額から生計費(その収入額に対する割合は四〇パーセントである。この生計費割合は全稼働期間中変動させない。)を差引いた金九万〇、三三三円が逸失利益月額となる。右金額に基づく将来に亘る逸失利益を現在一時に賠償すべきものとする場合における中間利息の控除方式のうち、ライプニツツ方式では、現在受領した金員を全期間にわたりその全額を複利で運用することを前提としているところ、右のような平均月収の勤労者世帯では、その収入により自己及び家族の収入を賄うのが通常で、その金員で不動産を取得したり預金をして複利を挙げることができる程の余裕がない点からみて、これに依拠することは問題である。また、月毎の計算によるホフマン方式は、月給制の実態に沿うが、月給制をとらない場合には失当であるところ、幼児の場合一応勤労者となるものとみて計算をするものの、それは逸失利益の総額を算定する一応の便宜的方法にすぎず、幼児が将来自由業に就く可能性もあるから、右方式は相当でない。のみならず、幼児の逸失利益の算定については、できる限り蓋然性のある額を算定することを目標とすべきであるが、右蓋然性に疑いがもたれるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法によるのを相当とするところ、右方式によると、現在額は他の方式による場合に比べ高額に過ぎ、幼児の逸失利益の算定方式としては失当である。一年毎の計算によるホフマン方式についても、三六年を越えた場合元本が残り利息を消却できない計算になるとの欠点も指摘されているが、他の方式に比較すると控え目で、賠償金使途の実態(複利投資をすることが少ない)に合致し相当である。この方式により中間利息を控除した現在額は金一、七九四万〇、三三〇円(円以下切捨)となる。(因みに、ライプニツツ方式によると、金八九二万九、二一一円、月毎計算のホフマン式によると、金四、三七七万二、四七七円となるが、いずれも相当ではない。)

(90,333×12)×(28.08657231−11.53639079)=17,940,330

年間純利益 ホフマン係数63年 同16年

なお、剛の一八歳未満の養育費は控除しないのが相当である。

(二)  葬儀費用について

控訴人らは剛の葬儀費用として各金一五万円宛の支払を余儀なくされ、その損害を被つた旨主張するが、これを認められる証拠は何ら存在しないから、右控訴人主張は失当である。

(三)  過失相殺について

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 控訴人加代子は本件事故当日午前一〇時三〇分ころ北隣の与安成方に回覧板(急用のものではなかつた)を届けに行こうとして剛に対し、家に居るよう述べて剛を独り控訴人ら居宅内に残したまま、その玄関、廊下の戸、門扉の鍵をかけず、剛が後を追つてついてくるかを確かめないで家から出た。剛は廊下の戸を開け、下駄をはいて直ちに控訴人加代子の後を追つたが、その姿が見当らなかつたので、これを探し求めて、前記のように南隣敷地である本件土地内に立入つた。

(2) 控訴人加代子は、数分して自宅に戻つたところ、剛が家に居ないので、戸外に出たと思い、直ちに、「剛ちやん」と呼びながら探しに出たが、本件土地の門扉から若干入つた通路上で、内庭内の本件井戸附近で、「ママ」と呼びながら泣いている剛を、境の生垣越しに発見し、急いで通路、外木戸、内木戸を廻り、内庭に入つたが、剛の姿は見当らなかつた。その間、なにか本件井戸に落下するような物音は聞かなかつた。このころ、東隣の安西恵はその居宅内で、本件井戸附近で子の泣く声と暫くして子の叫び声を聞き、また、被控訴人遠藤居宅内で病臥していた遠藤静子も子の泣声を聞いているが、同人らはいずれも物の落下する水音は聞いていない。控訴人加代子は本件井戸の存在に気づき、中をのぞき込んだが、暗くて見えず、別段変つた様子もないように思われたので、さらに、被控訴人遠藤居宅の周辺、通路、北側の公道附近などを小走りに探した上、右家屋内をのぞき込んでみたが、剛の姿が見えず、再び、本件井戸附近に戻つたところ、附近にサンダルの落ちているのを見つけ、もしも本件井戸に落ちたのではないかと考え、もう一度井戸をのぞき込み、サンダルを落して中の状態を調べたところ、漸く水面に剛の下駄と思われるものが浮いているのを発見して動転し、直ちに家に帰つて、午前一一時ころ一一〇番に電話して事情を話し、救助を求めた。そこで、まず、警官小山貞夫が来て本件井戸を見たが、救助できず、間もなく到着した消防署のレーンジヤー隊員がロープ、梯子、鳶口などの救助用具を用い三三分間探索の結果、漸く午前一一時五五分ころ本件井戸に沈んでいた剛を発見し引上げたが、すでに死亡していた。

以上のとおり認定することができ、右認定を左右する証拠はない。

ところで、本訴請求は、被害者本人である剛の逸失利益の請求であるところ、このように被害者本人が幼児である場合における民法七二二条二項にいう被害者の過失には、被害者側の過失をも包含し、右にいわゆる被害者側の過失とは、被害者本人である幼児と身分上ないし生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失をいうものと解されており、本件において剛に対し監督義務を負う控訴人加代子に過失があれば、これを斟酌しうるものである。

前記認定事実によると、幼児は、母を慕つてその後を追うことが多く、ことに、本件事故当時のように風雨の激しい日に一人で家に残されることに耐えかね、母と一時も離れられない心情となるのが通常であるから、外出する際は剛を伴なうか、家に残す場合は剛が後を追つて戸外に出られないように、廊下玄関に鍵をかけるなどして、剛が知らない間に控訴人加代子の後を追い本件土地に迷い込んで本件のような事故を起すことのないようこれを未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、控訴人加代子は剛に対し家に一人で残つていることを告げただけで、廊下、玄関に鍵をかけずに外出した点で、右注意義務を怠つた監督上の過失があり、この過失もまた本件事故を起した一因となつていることは否定できない。

(しかし、急ぐ必要のない回覧板を届けるため外出したこと、門扉を閉めなかつたことはいずれも直接的な要因ではないから、これを過失内容とすることはできない。また、控訴人加代子が最短経路をとらず時間を浪費したとの証拠はない。さらに、控訴人加代子が本件井戸附近で泣いている剛を発見してから警察(一一〇番)に電話して救助を求めた時までの控訴人加代子の行動には、剛の死亡と因果関係のある過失は認められない。すなわち、門扉附近で最初に発見してから内庭に行くまでの間、控訴人加代子は剛が本件井戸に落ちた水音を聞いていないし、また、当時の風雨が激しかつた情況の下では通常聞くことができなかつたものといえるから、控訴人加代子が電話で救助を求めるまで約三〇分間その時間を浪費したものとはいえない。そればかりでなく、前記認定のように、本件井戸からの救助は相当困難で、消防署のレーンジヤー隊員でさえ実働三三分を要した程であつて、たとえ、剛の落下直後に救助を求めたとしても、剛が死亡を免れることはできなかつたものというのを妨げない。)

前記のとおり控訴人加代子には剛の監督上の過失があり、剛の逸失利益額の算定にあたりこれを減額事由として考慮できることは前記のとおりである。これを考慮すると、その過失割合は約四〇%とみるべきで、逸失利益額を金一、〇八〇万円とするのが相当である。

(四)  相続について

〈証拠〉を総合すると、剛の相続人は父である控訴人実、母である同加代子の両名であることが認められるから、控訴人実、同加代子は、前記過失相殺後の剛の逸失利益金一、〇八〇万円の二分の一にあたる金五四〇万円宛を相続し、これを取得したことになる。

2  慰藉料について

〈証拠〉によると、控訴人らは、両親として、初めての子である長男剛を本件事故で死亡させ、多大の精神的苦痛を被つたこと、控訴人実は自動車運転手として働き木造の居宅と敷地を所有し、被控訴人遠藤は海上自衛官(航空機補修士)で本件土地と地上家屋を所有していることが認められ、右事実と前記各認定の事実、前記相殺すべき過失の存在、その他諸般の事情を総合考慮すると、控訴人実、同加代子の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、各金一〇〇万円宛とするのが相当である。

四結論

以上のとおりであるから、被控訴人遠藤は、本件事故に基づく損害賠償として、控訴人実、同加代子に対し、各金六四〇万円宛(内訳は前記三1の逸失利益金五四〇万円宛、同2の慰藉料金一〇〇万円宛)、及び、これに対する不法行為の翌日である昭和四七年八月八日から支払ずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。右損害賠償の内金として各金二四七万五、五一三円、及び、これに対する遅延損害金の支払を求める控訴人らの本訴請求は正当であるからこれを認容すべく、これと異なる原判決は一部失当で、昭和五〇年(ネ)第二、二八三号事件控訴人実、同加代子の本件控訴はその範囲で理由があるので、原判決を変更することとし、同年(ネ)第二、一七五号事件控訴人遠藤の本件控訴は失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、八九条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 高木積夫 堂薗守正)

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